「禅と能楽・茶」 

「禅と能楽・茶」 熊倉功夫,古田紹欽,鎌田茂雄,柳田聖山 他
          ぺりかん社
遂にご対面。相国寺十牛図の表紙。
「禅」て、ノイローゼのような感じがするが、一項目一執筆者の始めは、「茶道における人間形成」(久松真一 1889-1980)で、にゃははという感じ。


『禅的な意味での真実の人間形成とは、形ある現実の人間の否定』 『観念というのも一つの形』 『時間的にも空間的にも一切の形ある仏は真仏ではない』 『仏とは形なき自覚である』 『自覚というものは決して求めて得られるものではない』 『求めるということは、求められるものが外にあるということである』 『無相の自己のあり方は、どこか外に超越的にあるのでも内に内在的にあるのでもなくして、端的に形なくしてここに今あるというあり方なのであります』 『今は永遠、“ここ”にも空間的限定はない』 『悟りとは、主観と対象が一つであること』
『茶道の目的は、見性すること、自覚すること』 『茶道は無相の自己の自己形成即自己表現の場であり、有形無形の文化財創造の場である』 『珠光にはじまり、紹鴎をへて、利休によって大成されたものであるが、それは、茶の湯の歴史において一つの大きな革命を意味する』 『すべての生活のすべての面に浸透し、すべての面にはたらいている。無相の自己がそこにおいて、自分自身を形成し、自分自身を表現している。茶道とは正にそういうものであるが故に、茶道文化が特色あるものとなっているのである』 『現代の茶道界のあり方は、本来の茶道からの転落であり、珠光以前の茶への逆コースである』


ふ〜ん、お茶って茶道にゃのか。。。