簸屑・挽屑・ひくず から珠光へ

「簸屑」という狂言があって、「ひくず」とは何か調べた。茶や穀物などを「箕(み)でふるって残った屑」(狂言ハンドブック)(goo辞書)で、茶葉の場合下等な等級。更にそれを挽いて抹茶にする。狂言「通円」で調べて、また忘れて調べてしまった。
茶道の美学 (講談社学術文庫) 読書日記 「茶道の美学」 田中仙翁
村田珠光の例の“心の文”の「和漢のさかいをまぎらかす」について、今まで漠然と和物を唐物にアレンジして混ぜて使った、と受け取る一方、その時代にどんな唐物と、どんな和物が合ったり、替えたりできたのだろうか、という思いもあった。
たまたま、ぱらぱらとこの田中仙翁の本を開いて、前には軽く通過してしまった所に気がついた。それは「ひくず」という記憶も新たな言葉が目に入ったから。
珠光の「抛頭巾」(なげづきん)についての所で、


…珠光の茶の好みが新田肩衝→宗及文淋→小茄子というように変化し、ついには抛頭巾になったということになる。抛頭巾は火クヅ挽屑か)という粗末な侘びた茶を入れるにふさわしい茶入のようである。…

… 珠光が求め、そして到達した茶器の美は、唐物の中でも、だれもが評価をしないような道具に代表される。この茶入は、中に揃(そそり)という粗末な茶を入れさせているところを見ると、珠光もその茶入が粗相であることは承知なのである。むしろ、室町初期以来固定している評価基準による名物とはまったく違った唐物をとり上げることによって、粗相なるものの中に、独特な美の境地を発見したといえる。和物の美的価値の高いものと唐物の侘びたものの出会い、珠光はこれを「和漢のさかいをまぎらかす」といったのであろう。人まねでない美を珠光は求めたのであった。宗二が「此一種ナラシハ数寄ノ眼也」といったのは、この美意識であり、視点である。

で、この後、「ひゑかるゝ」のお話につながっている。


粗相な唐物を用いる自信と勇気がなくては、和物を用いる魁にならなかったし、素晴らしい唐物を持って十分知っているからこそ、枯れることができた、ということみたい。


今まで「浦の苫屋」への道の重要な半分を知らなかった、ということになる。この本が何年もありながら、なぜ気がつかなかったのだろうか。「啐啄同時」とはこのことか。