昇進したくて和歌でワサビを効(利?)かせ、怪鳥・鵺(ぬえ)ちゃんを矢で射殺し、打倒平氏で挙兵して時期尚早だったのか宇治川で破れ、平等院の芝で扇を敷いて自らあの世へ旅立った、源三位頼政・76歳さんの領地は、若狭にあったんですって←「私の古寺巡礼」 白洲正子。
「沖の石の讃岐」と賞賛された二条院讃岐は、にゃんとその頼政のお嬢様で←「私の古寺巡礼」&「私の百人一首」同著、父娘を偲ぶ遺跡がたくさん若狭にあるのは、その時代には珍しい名領主で、地域で慕われていたのではないかと正子談。
「古寺」と「百人一首」をパラレルで読んで、交差しました。
二条院讃岐は長生きして、「千載集・俊成」 から 「新古今・定家」までずっと活躍した息の長い歌人だそうです。
わが袖は汐干にみえぬ沖の石の
人こそ知らねかはくまもなし 二条院讃岐
さらに、若狭探訪は東大寺二月堂のお水取につながるのでした。仏教伝来以前の信仰・風習を包含する行事らしい。