徳恵姫

以前何かの練習中、本の中に「作詞・徳恵姫」というのを見かけて、いずれ公侯伯子男のお姫様と簡単に思っていた。宮城道雄大全集の解説によると

 関東大震災の直後の大正12年10月、宮城は、被災後で落ち着かぬ東京を避けて、もとの古巣の朝鮮に旅行し、京城(ソウル)に約1ヵ月滞在し、演奏会や講習会を催した。この滞在中に作曲したのが「蜂」と「雨」の二つの童曲である。
 作詞者の昌徳宮徳恵姫は、李王殿下の妹姫であり、当時は京城の日出小学校の五年生に在学中で、「日本の澄宮さま」とも呼ぶべき人であった。日韓併合(明治43年)以後、それまでの朝鮮の皇帝だった李朝の王族は、李王家として日本の宮家(皇族)に順ずる身分となった。他方、日本政府は併合後の朝鮮の同化政策として日本語教育を強く進めていた。李王家の姫君が日本式の小学校に通学し、日本語で童謡を作るに至った裏に、はこうした政治的背景が考えられる。
 それは、ともあれ徳恵姫の作詞内容は、そうした政治とは全く無関係な無邪気な子供らしいものであり、宮城の作曲も、それぞれの歌の気分に即した美しい曲である。


  蜂
黄色い服着た
小さな蜂は
おしりに剣
兵隊のまねして
いばっている


  雨
むくむくむくむくと
黒い煙が
空の御殿に上ったら
空の神様けむいので
涙をぽろぽろ流してる 

無邪気…?
日韓併合が明治時代だったとは!もっと調べなくては。


          「澄宮」・・・三笠宮崇仁親王殿下。
                 幼年時代、「童謡の宮様」として人々に親しまれた。