六輪一露

金春禅竹の著作を「精霊の王」に解説していただいたところによると、「六輪」とは図式化されていて、…云々


剣にたとえた「一露」は興味深い。茶杓の露も同じかも。「露」は「つゆ」であり「あらわ」であるところが意味深。「あらわれいでる」言の葉や芸の文化。業平も宿神が歌にあらわれた姿となる。


始めの空間は、絶えず振動していて、そこから現れたばかりの神はまだ揺ら揺らしているくらいの場所らしい。なぜ分かるのだろうか…。


西田哲学の「場」も宿神空間と同じとか。こういう解説法があったのかとびっくり。田邊元の哲学は、西田哲学の「後戸」的存在なのだそうです。「うしろと」とは、寺院の光ある仏像の後ろ側の空間、猿楽の場所、光を現実に働かす力のあるところ、ですって。表と後ろはセットの存在。


縄文的宿神が、人間の権力の王に取って代わられるところから歴史が始まる。主権の在りかが主題とは、意外な展開。革命かも。また、清めと不浄とは一対であるという観念と被差別とのつながりが解説されていて、宿神の「発見」は政治構造の歴史の発見である。
全ては、禅竹の『翁は宿神である』 から始まったのであった。