わび茶 とは

『わび茶とは、ことさら土っぽい取り合せをすることでも、ぼろ屋に名器を置くことでもなく、心掛けのことである。村田珠光の原点にかえれ。』という本を読んでいる。「私の茶の湯考」堀内宗心。
村田珠光は、賭け事の闘茶の判者をしたり、やくざな生活を送っていたが、一休禅師に帰依し、禅僧の宝といえる円悟の墨跡を与えられる程変身した。そのような人物が目覚めた茶とはどんなものか。今まで読んだものでは、珠光は、書院の茶から草庵の茶への過渡期であり、戻るべき原点というものではなかった。
「わび茶の実践は茶事であり、道具の所持と一体である。」 点前の稽古が目的となっているような現代の庶民にとってのわび茶の可能性は如何に。
という内容が有意義だ。お茶のページに改めてまとめてみたい。