道綱母

昨日 3月21日(土)東京金剛会例会能
  仕舞
  能 「雪」 金剛永謹  宝生欣哉
        亀井忠雄  亀井俊一  中谷 明
  狂言佐渡狐」 善竹十郎  善竹富太郎  善竹大二郎
  能 「鞍馬天狗」 工藤 寛  山根あおい・他(子方)
           野口敦弘  野口能弘  野口琢弘
           安福光雄  古賀裕己  観世元伯  内潟慶三
           能力…大蔵吉次郎
           木葉天狗…大蔵教義  宮本 昇  榎本 元


読書日記
檜書店にて
源氏物語もののあはれ」 大野 晋  角川ソフィア文庫


今、「宝生閑 聞き書き」の土屋恵一郎による誘導尋問のようなのを読んでいるところだが、昨日の文庫本を、ぱらぱらと眺めた。
「モノ」という言葉だけを、世間のきまり、儀式、運命、存在、怨霊、という分野の表現として解説したもので、その間に『ちょっとひと休み』という周辺知識的小咄がある。


いわく、
本朝三美人のひとり、道綱母蜻蛉日記の中で、自らの動作に、皇族や高位の身分にある人が使うのと同じ表現をしている。関白まで進んだ藤原兼家の、第二夫人ながら正式な妻として、言葉も意識も高く生きた。しかし、そこまでの人で、あまり頭は良くなかったのでは、と土屋氏はのたまう。兼家は、心の中では道綱母の一途な愛情に、一番強く引かれていた。道綱母は、そのことを悟ってよい機会があった、にも拘らず理解するデリカシーが無かった。夫との間に自信を持てば、嫉妬や癇癪とは反対に、夫の心に平安をもたらすこともできた…。


まあね、そこそこの美人でも成り勝ちなのに、絶世の美女では無理からぬことかも。容貌と地位、人間性への永遠の挑戦か?