拍手

昨日の伊能さんの百人一首コンサートで感じたこと。
一首一首に拍手があるのがどうも雰囲気を壊している。舞台に転換がないのなら、ひとつのものとして、落ち着いていたい。25首の提示の仕方、構成自体が表現になっているのだから、受け取る流れというものがあるのではないだろうか。感激を表わすのも自由だけれど、惰性拍手は少し考えてほしい。
一方、お能で、全く拍手をしない、というのも淋しい。幕へ向かう橋掛り途中でぱらぱらと起こるとがっかりするが、そのことにこだわると、自分の情感がだいなしになるので、気にしない! 拍手より、パッグのファスナーの開け閉めや、飴の包みの音をなんとかしてくれい(ひと頃より減ったようには思う)。咳にしても、どうして開けっ放しの口でするかなぁ。 現実に負けないぞォ!