能「雪」に想う

「暁梁王の苑に入れば 雪群山に満てり
夜庚公が楼に登れば 月千里に明らかなり」


『能(謡曲?)の十徳』という中に、『行かずして知る』とかいうのがあった。物見遊山に行かなくても、謡曲で花鳥風月を知る事ができる、ということのようだ。
今、琵琶湖の回りでいろいろ見るにつけ謡曲の詞が浮かんで、現実と詞章がまた更に脳内風景を生み出していく体験をしている。


湖西では、天気予報にない昼間、ふわふわと迷子の雪の小片がいろいろな方向に舞い始め、だんだん数を増し、下に方向が定まる頃には遠くが見えなくなっている。でも、降る隙間から透ける少し向こうの見え方が幽玄。やがて唐突に上空の一箇所からどんどん明るくなり、雪もふわふわと、在るのか無いのか曖昧に。旅の僧は静かに又歩み始めるのであった。おしまい。


北の湖面に『魚木に登る景色』も、残照に『兎も波を走る』浦の景色も、飽かず眺めた。湖の静かで薄い波には可愛い兎が走る。ぴょーんと眉のように伸びた、あの波兎です。そんな水を育む竹生島の神々が活き活きと感じられる。