西遊記

少し前、TV「ぶっちゃけ寺」で、西遊記の一行の名前には、出自、境遇、向かうべき方向と精進する内容が込められている、というお話をうかがった。単なる仏教的訓示ではなく、“貴方だけの名前” であったのかと、改めて興味を持った。


また、web上で、観世音菩薩、観音菩薩、観自在菩薩、について、クラマジュウと三蔵の解釈をいろいろ調べたが、

唐の二代皇帝太宗李世民の「世」の字を憚って、三蔵がクラマジュウの「観世音菩薩」から「世」をはずし、更に研究して「観自在菩薩」と約した。

という記事に、俄かに現実の風が吹き、歴史の落し穴を覗いたような気がした。


そして、 
日中戦争の時、南京で偶然、玄奘の遺骨が発見され、日本軍はこの遺骨を大事にとりあつかって中国に返したので、特別に一部を日本が譲り受けた。回りまわって、その遺骨は岩槻市慈恩寺の元に保管されることになった。さらにその遺骨の一部が奈良の薬師寺玄奘廟にゆずり渡された 』
というのを読み、驚きました。
かの地の御本体は、戦争と文革を無事に過ごされたのでしょうか。


で、“一番優しい” という書評の「西遊記」を。昔のM新聞の連載とか。
西遊記〈1〉 (文春文庫) から 西遊記〈4〉 (文春文庫) まで  「西遊記」 1〜4 平岩弓枝  文春文庫


優しく穏やかな口調と挿絵です。とにかく長いので、一行の出会いも丁寧に描かれています。あとは、欲と不信と裏切りと信頼の繰り返しで、窮地に立たされると天界に「Help!」。目まぐるしく変化する現実の表層に動揺する心理、ころころ変わる他人の態度、信じきれない自分自身の心の弱さ。一方、「気持ちは大いにあるのですが、弱小なのでご勘弁を」 という存在。いろいろ悩ましい。