お菓子と維新

天領日田のおみやげ『銘菓 淡窓』
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日田文教の源泉である廣瀬淡窓先生は……文化ニ豆田町廣瀬宗家の御長男に生まれ 文化二年二十四才で私塾を開き 安政三年七十五才で歿するまで 主に秋風庵(史蹟咸宜園阯に現存)に起居して 道を諭し経を講じ詩文を添削して聊かも倦まず 専ら教育の業に精進する事 実に五十餘年 その間全国より集り学ぶ者三千八百有餘名 門人の逸材としては大村益次郎 高野長英 赤松連城 島維精 長三洲 中島子玉 平野五岳等である 郷士の大先賢として景仰措く能はざる先生であります
銘菓淡窓は学聖淡窓先生の心を 小豆の風味を生かした小倉羹に抹茶入の餅で薄く包んだ純粋の和菓子に現した銘菓です
         大分県日田市三隅町  大黒屋主人 敬白

大村益次郎村田蔵六)に遭遇するとは、お菓子ハプニング!
40年以上前、朝日新聞に長く連載された司馬遼太郎の小説「花神」をずっと読んでいました。イネという青い目の女性を知ったのも、明治5年頃まで続いたキリシタン弾圧の最後は、長崎から雪の道を素足で歩いて連行された津和野の地で、森林太郎(鴎外)も子供の頃それを目撃している、など知ったのも、その小説であったと思う。
幕末は、師を求め、学び巡る、知識を求めるパワー溢れる時代ですが、秋風庵のことは存じませんでした。来るも自由、去るも自由の塾で常に途中参加の形の新入生は、大変だったのではないかしら。そういう未来を可能にする子供の頃の塾や藩校の基本教育って、やはりたいしたものです。
『日田文教』の出だしには、一瞬、「ひたもんきょう」?新興宗教?と怪訝に思ってしまいましたが、勿論「ぶんきょう」ですね。


さて、銘菓「淡窓」は、持つとふわっと軽く、乾いた風味なのですが、そうなのか、到来の途中でそうなったのかは、わかりません。今度、お土産でなく自力でげっとしてみましょう。


ところで、その幕末明治の偉人大村益次郎の子孫(養子系)という方が、高校にいらしたことを思い出しました。蘇るをとめの昔…。