比良・平兼盛

今度の三曲会の曲目のひとつ「比良」(筝曲)、
「見渡せば 比良の高根に雪消へて
   若菜摘むべく野はなりにけり 若菜摘むべく野はなりにけり」


      比良 ひら …琵琶湖西岸に連なる山地
               近江八景のひとつ「比良暮雪」


◆宮城道雄作曲  大日本家庭音樂會發行
の楽譜では、「萬葉集」になっているが、


◆ビクター 「宮城道雄大全集」(LP集) 昭和四十九年九月発売
では、平兼盛 「和漢朗詠集 春の部 早春三首」より、であった。


◆検索すると、オリジナルは、
平兼盛  麗景殿女御歌合・続後撰集34、のようである。


それは、あの兼盛さんでした!
  ?〜990。平安中期。@三十六歌仙村上天皇時代の有力歌人
  光孝天皇の五代孫(曾孫の子)。赤染衛門の実父といわれている。

陸奥 みちのく 安達が原黒塚
              鬼籠もれりと言ふはまことか」 兼盛


  源重之 みなもとのしげゆき
    清和天皇5代孫。@三十六歌仙
      「風を痛み岩うつ波のをのれのみ碎けてものを思ふころかな」
    父親が陸奥に定住していた。重行は都の伯父の養子になった。
    “『歌枕見て参れ』左遷”された藤原実方随行して陸奥で没す。
  の美貌の妹達を、鬼伝説に寄せて詠んだ恋歌。
  能「黒塚」(安達原)のテーマとなった歌。


     民話「安達ヶ原物語」
     http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/history/minwa/s1.html


「忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで」 兼盛


  天徳四年(960)内裏歌合に右方で参加し、
  左方の壬生忠見壬生忠岑 みぶのただみね の子)の、
   「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか」
  に接戦で勝った歌。


と、そのような方が比良の山を詠んだ歌に、宮城道雄がお筝の曲を付けたのでありました。