翁 おきな

式能を観始めた10年ほど前、「翁」と次の「高砂」or「淡路」の神(シテ)は同じ演者であったが、その後、違う演者に代わるようになった。
能―中世からの響き (角川叢書)先日、「能 〜中世からの響き〜」松岡心平 角川叢書 (既に活字になった自著を集めた内容)の『翁から能へ』という項に、本来五番目切能の「春日龍神」を、一番目の脇能として「翁」付にした場合を例に挙げ、

翁は、にこやかな表情の守護神であると同時にこわい祟り神でもあって、裏に鬼の性格を内在させていた。従って、鬼能は、「翁」の暗黒面の舞台化という側面を強く持つ。
また、脇能すなわち神能では、前シテは必ず尉面をつける老人(神の化身)であり、「翁」からの老人の神としての連続性がそこにはっきりと示される。

「翁」のシテが「春日龍神」のシテまでを演じ通すことによって、「翁」の身体が「能」の身体に移行する様が示され、能の発生の秘密をそこに垣間見ることができる。
同時に、「春日龍神」の老人や龍神が、実は、メタモルフォーゼ(変化、変形)を身上とする得体の知れない存在「翁」の変化した姿であることも、感得する事ができるのである。

と、あった。なーるほど、という感じ。
神から鬼へ、鬼から神へ、一、二…五番から、また一番に戻り、二、三…と続いていく、というのもわかった感じ。祟りを為す鬼が祭られて神となる、という図式も。