柿本人麻呂

万葉歌人・人麻呂は流罪、水死の刑死であった、と梅原猛さんの「水底の歌」新潮文庫。具体的最期は『作家の検証』であるかもしれないが、人麻呂は大津皇子と親しく、その後の律令制の強化、持統帝の血筋の皇統と藤原氏の結束の前に目障りな存在であった、といのは成る程という感じ。藤原氏の勢力が衰える僅かな期間に、例えば橘諸兄の時代、人麻呂の子孫が登用されたり、万葉集や、人麻呂の歌を沢山収録した歌集が編纂された。歌と船旅(水)の神として伝承を残しているのには意味がある、と梅原さん。怨霊対策の為に破格の三位が贈られた形跡もある、と。民間伝承は作家や郷土史家という分担では、いつまでたっても歴史は読み解けないかも。