お江戸の嘉祥菓子騒動記

偶然、つい最近、ユニークな時代劇小説を読み終わったところでした。
ちょちょら 「ちょちょら」  畠中 恵  新潮社
嘉祥菓子に藩の運命を賭けることになった、ある弱小藩新米江戸留守居役のお話。
その日、江戸城では、大小大名旗本が伺候し、折敷に一種類ずつ載った嘉祥菓子を下賜される。「8種類」の某大な数の折敷が並ぶ中、ひとり一種を頂く。欲しい種類を取れるような取れないような、微妙な状況。新米江戸留守居役は、お殿様に、菓子の種類を指定する。他藩と協力し、8種類を集めるのだ。菓子好きの有力者に、8種全部揃えて進呈しなくては、幕府の普請請負い命令から逃れる斡旋を頼めない。印旛沼の普請など受けてしまったら、財政破綻藩の明日は無い。さて、結果は如何に!?


江戸幕府の本当の嘉祥(嘉定)の記録
徳川記念財団 財団だより
 八種類の図
 http://www.tokugawa.ne.jp/info_06.htm
『 嘉定私記によれば、元亀三年(一五七二)三方ケ原の戦で武田信玄に大敗を喫した家康公は嘉定通宝 (嘉・通 → 勝つ、縁起かつぎ) を拾い、大久保藤五郎が献上した菓子を口にしてから運が開けたといいます。この故事にちなんで、家康公以来の吉例の式日として重要視され、六月十六日に幕府の行事として嘉祥が盛大に行われました。』


この図で気になったこと。折敷の縁の合わせ目が、手前になっていること。まことに、形は、常識なのか局地的習慣なのか、自分のことしか知らないということがわかる。