「をちこち」

人麻呂関連で、梅原猛「水底の歌」から、先日、発表会で舞ったばかりの伊勢物語「杜若」(クセ)まで、「をちこち」続きでweb見学となった。


  いわく、
  「おちこち」に見る言霊の変遷
  http://members.at.infoseek.co.jp/sohoweb/index-15.html


趣旨: 「をちこち」は、もともと距離の「遠近」ではなかった。
■「あちらこちら、ここかしこ」
伊勢物語
   信濃なる浅間のたけに立つ煙をちこち人の見やはとがめぬ


「をちこち人」とは「あちこちの人」。


源氏物語  明石巻
   をちこちもしらぬ雲井に眺めわび かすめし宿の梢をぞとふ


『 ここでも「ここかしこ」の意が強く、「あちらこちら」または「将来と現在」という意味だったことがわかる。 いずれの歌をみても、遠近の感じは薄く、… 』


■流人の詠  「右も左も分からない」不安
   をちこちのたつきもしらぬ山中に おぼつかなくもよぶこ鳥かな
                              (古今集 春)


『 この歌は、梅原猛が、藤原公任三十六歌仙を編んだ時に猿丸太夫の歌として撰したことを支持し、「水底の歌」で、柿本人磨呂が「さる」という別名で正史に登場している、という論考をした時、引かれていた有名な歌(読み人知らず)である。
この「をちこち」は、流刑者または隠遁者が草深い田舎に来て 「右も左も分からない不安」(立つ木)と、「現在と将来も見通しがつかない」(生活のたつき)、寂寥にあふれた心地を偲ばせる … 』


『 「おちこち」とはかつて重奏的な深い言葉であった。
万葉集ではやさしくおおらかに使われており、人麻呂と「源氏」で一気に深くなったが、南画の風流人「蕪村」で洗練された。漱石は、(「我輩は猫である」の中で越智遠近君にこだわったのは) そこに何かを感じたのに違いない。 』 というところが、面白かった。




「遠ち近ち」は、今昔とか、人生の長さとか、行く末に関わるイメージが強かったので、距離の遠近とはどうも驚いてしまった。言葉のイメージは様々と、「概念規定」から始まる社会科学係論文も、字数を増やすためではなかったのだ、と今頃感心する次第。


もともと、「遠くの者は音にも聴け、近くの者は寄ってみよ」を、「をちこち」とは言わないのではなかろうか。