七小町

風邪、自宅待機中。
お返事用葉書を選んでいて、おみやげに再会。


「七小町枕屏風」 絵葉書  信州小布施 (財)北斎
実際の八曲屏風は、どのような組み合せになっているのだろうか。
髪の若さ、袴の色、落剥具合などから並べると



草紙洗小町…平安風立膝、鮮やかな長袴、蒔絵の什器に草紙を浸けている
通小町…雪の中、高下駄?蓑笠をつけて車の前でうな垂れている深草少将
雨乞小町…表情・髪若い、長袴色薄い、足先出ている、蓑笠を背に短冊捧げ
鸚鵡小町…最後かと思いきや、きれいに描かれている。天皇がお相手だから?
清水小町…市女笠を手に旅行用?上着でうつむきしゃがんでいる、お疲れ風
卒塔婆小町…白髪、墨染衣の下に赤袴、角材(卒塔婆に見えず)に腰掛け前正視
関寺小町…墨染に名残の帯?白髪ケバ立ち、杖にすがり座り込み行倒れ寸前風
 +
六樹園 筆…『…風のはいるべき穴もなし…おもいつきて七小町・・・
        よなよな出てくらば思いの外のさいわい 阿るじの悦びしりぬべし』!



小町と穴と待ち針。。。
小町への悪口→縫い針でない針を小町針といった→待ち針
更に、知恩院の「左甚五郎の忘れ傘」の都都逸に発展!
http://www.potalaka.com/potalaka/potalaka116.html


縫い針のなかに正真正銘?の小町針があった人の憤慨はこちら
http://zzz.abc-abc.net/article/625529.html


九州王朝説の何かに、小町は采女で巫女だったので、天皇以外の男性とは親しくなれない立場だった、とあった。
別な資料では、仁明天皇とか允恭天皇とかの更衣であった…。

「七小町」  光崎検校 作曲  船坂三枝 作歌                八重崎検校 筝節付
蒔かなくに何を種とて浮草の 浪の畝(うね)々生ひ茂るらん 草子洗ひも名にし負ふ その深草の少将が百夜通ひもことわりや 日の本ならば照りもせめ さりとては又あめが下とは 下行く水の逢坂の 庵へ心せき寺 の うちもそとばも袖褄(そでづま)を 引く手数多(あまた)の 昔は小町 今は恥づかし市原の 古跡もきよき清水の 大悲の誓ひ輝きて曇りなき世に 雲の上ありし昔に変はらねど見し玉簾(たまだれ)の うちや床しき うちぞ床しき(鸚鵡返し)