能と能面 初代金剛巌 

「能と能面」  金剛 巌   創元社


昭和15年 初代金剛巌 弘文堂「教養文庫」の1つとして出版
昭和26年 初代金剛巌 創元社 改修版 の序。(亡くなった年)
昭和57年 二世金剛巌 創元社 新版再行 の序。
昭和58年2月 第一版第一刷発行


昨日、新たに先輩から頂戴致しました!
大変おもしろーーいのでびっくり!
眼の穴は、縦の線の向きも、木地の切り込みの角度も、傾斜をもっている。にゃーるほど。さらに、その面の役目の視線に内側から道をつけるくらいに添っているらしい。鼻の穴も、火箸でぶすっと開けたようなのではだめ、というところに笑ってしまった。

雪の小面の眼は…ほとんど平行する二つの線で切られている。この両線の中間に位する平行線を引くと、大体正しく口の両端にくる…かく正しく口の両端に向かうように切られた眼は、その面がいろいろの方向に動く時その面が見るべきところに視線が間違いなくついてゆくのである。演者が見るのではない、面が見るのである。…洞白光矩の写しは…つける人からいって…右の眼が外側にそれている。かかる面は右の方を見る時はよいが、ひだりのものを見る時には右の眼がついていってくれない。…

遠くを見る目というのがある。…小面系統の面は見やすい。曲見になると見にくくなる。…上瞼が出て下瞼の切り込みがはなはだしくそのために伏眼となっている…
天女の面増女とならんだ曲見の眼は浮世の眼である。うつし世の悲しみに心奪われて遠くに馳せるいとまのない眼である。こうした遠目の利かない面をつける曲には、よくしたもので遠くを見なければならない箇所はないのである。ただ一つといってもよい例を求めるなら「隅田川」をあげねばなるまい。

昔は容貌とか声とかいったその人に生れついた天分が修行と同じように重大視されていた。…近頃は天分の豊かな者のみを選んでこの道の修行をさせることが不可能になったため、悪く言えば団栗の背くらべあるから修行のみが絶対であるかの如く考えられるが、昔の人はそんな片寄った考えはなく、もっと自然に、且つ素直に美しいもの、秀れた天分のものを愛していた。…


金剛 巌 師    須田国太郎      
…能と面との不離の関係をよく体得sれていた…それだけに面の選定はやかましく…常に自己の演能にはそれに規定された、所蔵中の最美のものを使用された。…師の所蔵面は皆実用されて飾りものではなかった。また自分だけでなしにそれをつけ得る役者には惜しげもなく貸されたのであった。…
…師は何でも舞われ、それぞれに円熟の技を見せられたが、どんな境地が究極の理想か、それをきくと矢張り世阿弥のいう幽玄にあったらしい。…謹之輔翁は老女ものに於いては存外、深がるごこもなく、極端な低弱音を用いることもなく、むしろそういった特別の秘伝的伝習を排して演じられたが、師もその点は同じ主義であった。幽玄を、そうした秘曲に求めるというようなことはされなかった…一つ一つの曲趣そのものからでなく、演者の芸格からでてくるべきものと考えられたに違いない…。師が三番目ものにこれを見出すというのは、結局この三番目物が最適であり、愛好された曲ということになるのである。…