近江山河抄  私の古寺巡礼

「近江山河抄」 「私の古寺巡礼」 白洲正子 講談社文芸文庫
京都で正子を4冊。ブームなのか専用のコーナーがあって、再出版ものがずらっと並んでいました。


「近江山河抄」
もと、しんしん堂(侵の馬偏)の出版物。能楽手帖といい、真面目な出版社だったのにねえ。解散する際、社員のどなたか?が、インターネットの無料詞章掲載について、恨みっぽいことをおっしゃってましたね。Cat的には“「馬偏の侵」々堂”という社名に、時代に生き残るセンスの無さを感じました。
そういえば、お能の「石橋 サン猊之式」のサンは、文字一覧には存在して自分には見えているのに、「他の環境では保証の限りにあらず、その場合には他の部分も消滅する危険あり」的「警告」が出て、HPに使えませんでした。電脳よ進化せよ!東洋文明の危機ぢゃぞえ?そうなのかな?本家中国の漢字はどうなっているの?


他に「観音巡礼」とかいうのがありました。
観音様に秘仏が多いのは、戦乱(応仁の乱とか戦国時代)や廃仏希釈や大戦で、壊れたり失われたりしている事情がある。人は実在しないと価値がないとか、見たいとか思うらしいが、自分は観音そのものにはこだわらない、というところを読んで、にゃーるほどと思った。清水寺の舞台の奥の観音様を、けちけちしないでいつも開けていればいいのに、などと思うCatでは、文化巡礼は出来ないのだ。で、またの機会に。
  「近江山河抄」には、『見たい』とあった。ま、状況と心境いろいろなんですね。