禅と能楽・茶(3)

ぱらぱらと先を開いてつまみ読み。

★「世阿弥新考」 (昭和35年) 香西精(1902〜1979)

第一章 世阿弥の出家と帰依…補巌寺文書

義満から賜った「世阿」は、時衆(時宗)の阿弥号ではなく、法名でもない、という証明に向けて延々続く。
結論:
世阿弥は補巌寺(奈良県磯城郡田原本町大字味間)に田一段寄進した檀那であり、二世竹窓智厳と師檀の関係にあり、出家は曹洞宗の儀に従って補巌寺でなされ、出家名は「至翁善芳」であった。「善芳」が法諱、「至翁」が道号。


出家年齢は60歳前後、それでこそ『世子六十以後申楽タンキ』に意味がある。在俗出家は中古、院政の宮廷貴族の出家に原型があり、間近くは北山殿政権にモデルがある伝統的貴族趣味であるが、中古以来の貴族が南都北嶺の旧仏教によったのに対し、室町武家は振興の禅宗に従ったところに、時代感覚の違いがある。加えて、禅宗寺院の側の事情もあった。特に檀家を持たない禅宗寺院は「得法以後の修学」を強調し、「得法」のために寄進する檀那を繋ぎとめる方便とした。


命日は8月8日、妻・寿椿と共にあるらしい。世阿弥は直系が絶え世間から忘れ去られたが、この補巌寺で、没後129年間は確実に、その後おそらく江戸初期まで年忌が弔われていた。
その補巌寺も、2005年現在、民間管理であるそうな。
http://www.h6.dion.ne.jp/~asano/fuganji.htm

第二章 世阿弥の禅的教養…用語を中心として