エイサー


中野サンプラザ広場と、中野アーケード街を、太鼓をドンドンと打ち、地響きさせて、沖縄のエイサーが通りました。黒装束と白装束を目撃。高円寺阿波踊りの「連」のようなものなのでしょうか。クラブ活動のように、公民館などで練習しているそうです。


★「エイサー」とは、なんぞや?
エイサー講釈サイト
http://kyoto-getto.hp.infoseek.co.jp/yomoyama/eisa001.htm
『 三線(さんしん=蛇味線)が奏でる沖縄民謡にあわせて、太鼓を持って踊る勇壮な踊り。 』 沖縄では、エイサーは青年会を中心に若者たちの文化として 定着していて、各青年会ごとに踊りが変わっている。


エイサーの語源
http://www.wonder-okinawa.jp/016/jpn/kouza.html
沖縄最古の書である「おもろそうし」の巻14に「いろいろのゑさおもろ」の「ゑさ」が語源という説が有力。

エイサーの由来と琉球

http://kyoto-getto.hp.infoseek.co.jp/yomoyama/gossip/eisa004a8.htm
袋中(たいちゅう)上人という京都のお坊さんが沖縄で始めた念仏踊りが定着したもの。
袋中上人の生まれは現在の福島県いわき市。浄土宗の僧。もっと深い教えを請いに明に向けて出国したが、秀吉が朝鮮出兵を行った直後で、朝鮮、中国が海上警備を固めていたため、日本海を越えられなかった。海路を求めて南へ伝ってフィリピンにも寄港し、結局大陸に渡れずに1603年、琉球王国に流れ着いた。


滞在3年の間に、尚寧王がら信頼され、お寺もいくつか建立して、琉球王朝の仏教文化に少なからぬ影響を残した。尚寧王に招かれた席で、三線の音に合わせて念仏踊りを踊ったのがエイサーの発祥であるといわれている。 出身地・福島県には今でも、太鼓を持ちながら踊り歩く、元になった念仏踊りが残っている。


袋中上人が去った後、1609年、琉球は薩摩から侵攻を受け、尚寧王は捕らわれの身として江戸に移される。その途中京都で、袋中上人と再会。尚寧王から、祇園祭の鉾「黒主山」(室町通り三条下ル)の前掛になった16世紀明製綴織「波濤飛龍図」が贈られ、現在、国宝として京都国立博物館に保管されている。



上人のお墓は、琉球から帰ってきて最初に布教活動をはじめた場所、京阪三条駅の道向かいにある壇王(だんのう)法林寺にある。実際に亡くなった所は、京田辺市内のお寺。
2004年2月、浄土宗(水谷幸正宗務総長)と地元沖縄県等との協力で、「袋中上人来琉400年記念 慶讃法要 と 戦後60年を記念する戦没者追悼法要」が、那覇市の浄土宗袋中寺と松山公園で厳修された。
長い沖縄の400年。

印税貢献 茶の湯の科学入門 

◆「茶の湯の科学入門」 堀内國彦 淡交社
         茶の湯と科学 (茶道学大系) ←こちら、ずっしり版
「私の茶の湯考」(堀内宗心)といい、堀内家に貢いでしまった。どちらも面白いのがシャク (文は上手とはいえない)
抹茶の泡について、「長くいじり過ぎると酸化して美味しくなくなるので、他流ではあまり茶筅を振らない。当流も、振り過ぎないほうがよい。」と仰った方があるので、そのあたりのところを知りたい。美味しさの成分と、その出方を科学したい。

◆「茶の湯事件簿」 火坂雅志  淡交社 茶の湯事件簿
「能楽事件簿」があるかと思えば、茶の湯まで…。
茶器の価値は伝来だそうで、歴史と核心人物と、茶道具の関係が面白い。しかし、安土桃山以降なので、鎌倉時代や、室町の東山御物についても“事件簿”を“閲覧”したいにゃん。


で、“株式会社 淡交社”の“出版目録”を下さいました。大変なラインナップにただ驚き。