「来し方」

来し方行く末の「来し方」は、
  「こしかた」・・・ 通ってきた空間的過去
  「きしかた」・・・ 過ごしてきた時間的過去
の二つがある、というのは、本当??
「こしかた」を眺め、「きしかた」を想うのでしょうか。


今まで私は、発音は「こしかた」で、意味は、人生の過ごしてきた有り様・想いという感じで、「きしかた」であった、ということになる。
「きしかた」では、読み方を間違えているようで、使う勇気が無い。


そもそも、現実の山の上から、登山道を振り返る使い方など、少ないと思うのですが・・・。時間をそのような空間にも喩えて表現しているのであって、「こしかた」一つでよいのでは・・・?? 映画の西部開拓者の幌馬車隊が「よくぞ遥々来たものだ」と大平原を振り返る時も、眺めながら、過ごした大変さを思い出して感慨にふけっているわけですし。
どうなのでしょうか。