巴半田(炉 後炭 廻り炭)

今まで、ただ撫でるように巴を作ってきたが、先日、奥義を惜しげなく教えていただいた。
底取の柄を軸にして、底の傾斜の加減で、周辺を平らにしたり、中の巴の土手を立体的に築き上げたり、さすが〜。パワーの内在する味のある風情。しかし、さっそく取り掛かると、途端に灰がきれいにならなくなった。これは、練習以外になし。間に合わないので、『もどき』でお茶を濁し、元の木(黙?)阿弥。お手本を目撃した後では、のっぺりと弱々しい。


◆「お茶を濁す
http://www.janis.or.jp/users/utena/112.htm
かつて、お茶はたいへん貴重なものとして、珍重されていました。一般に普及したのは、室町時代以降で、それまでは貴族や僧侶だけの飲み物だったそうな。そこで、お茶を出せば、その場を丸め込めたことから、急場をしのぐことを、「お茶を濁す」 というようになったとか。


http://gogen-allguide.com/o/otyawonigosu.html
茶の湯をよく知らない者が程よく茶を濁らせて、それらしい抹茶に見えるよう取り繕うことから生まれた言葉。


◆「元の木阿弥」
http://www.izumiya-gr.com/story/story05.htm
弱肉強食の戦国時代、大和国筒井城主・筒井順昭は、28歳の若さで不治の病にかかってしまった。嫡子の藤勝はまだ3歳の幼児。順昭は思案の末、しばしば看病や琴をひいて慰めるために城に出入りしている、盲目の法師を思い出した。
『あの黙(木)阿弥と申す法師は、確かに自分とうり二つ。黙(木)阿弥を影武者に仕立てあげ、死後3年間は自分の死を隠し通し、外敵の侵略を防ぐのだ。』と。この計画は功を奏し、藤勝6歳の折に城主と定め、お家安泰を死守したという。この藤勝が有名な筒井順慶である。
こうして、大役を果たした木阿弥は、多くの金銀を手に、古巣の奈良・角振(つのふり)町へ戻っていった。帰って来れば、元の木阿弥、名もない一介の盲目の法師にすぎなかった。