国立能楽堂定例公演「杜若」

狂言「瓜盗人」
    シテ・男…大蔵吉次郎
    アド・畑主…大蔵彌太郎

今日の地獄の責められ役はソフトで、本当に瓜盗人の村人がお祭りの練習をしている感じ。以前の三宅右近さんの責められ役は、練習でなくて地獄の現場中継のように真に迫っていた。それぞれで面白い。

◆ 能 「杜若」日蔭之糸 増減拍子 盤渉
    シテ・杜若の精…今井清隆
    ワキ・旅僧 …高安勝
       笛…一噌隆之 小鼓…幸 正昭
      大鼓…柿原崇志 太鼓…桜井 均


■ 小書
日蔭之糸
初冠に梅を挿し、日蔭の糸を垂らす。日蔭の糸は数段に編んだ紅色の絹紐で、古代新嘗祭等の神事に、冠の左右に垂れたもの。元は日蔭葛という多年生常緑草を用いたが、後に紐で代用するようになった。
増減拍子
クセの始めの陽の句「(ひとたびは)栄え」に陰の足拍子(軽く)、陰の句「(ひとたびは)衰ふる」に陽の足拍子(強く)を踏む。陰陽の調和をあらわしたもの。
盤渉
序之舞が盤渉調となる。盤渉(ばんしき)とは、
(1) 日本音楽の音名。十二律の10番目の音。中国十二律の南呂(なんりよ)に相当し、音高は洋楽の「ロ・B」(ロ♭・Hの説明もあり)。
(2) 能楽囃子の笛の用語。低い方から六番目の指孔。また、各旋律句がその指孔の音で終わる曲を「盤渉の曲」という。笛の盤渉調は「水の調子」といわれる。
            (金剛流謡本、弥左衛門芸談、goo辞書 より)

ちょっといかつい旅僧がぐんぐん杜若の沢辺を作り上げていく言葉の力と、場所を生み出す視線が素晴らしかった。観客がその気になったところに不思議な存在感の女人登場。かすかになまめかしく、どこか中性的に冷えている面差し。唐織の朱の段織に帆掛け舟とお花が散らしてある。一語一語区切るような言葉はなぜなのだろうか。やがて立ち現れた杜若の精は、紫地にほとんどを占める金通しの地紋がきらきらした長絹をまとい、腰巻の紅い裾との映りがあでやか。初冠の黒い針状の房に両頬を挟まれて、何か憂いを含んで甘くもの言いたげな、でもどこかひんやりした表情で、地謡にのせてふんわりゆったり時に激しく、舞に継ぐ舞。盤渉というのは面白い笛でした。キリは橋掛りに行ったり、お仕舞とは違うお能の構成が素敵だった。「蝉の唐ころも」はツヨギンでもスゴみ過ぎない、雰囲気というものがわかった。「杜若」についてのいろいろな講義は置いておいて、「○○の精」という存在が感じられる舞台でした。

今日は、面の表情が意外なもので、印象に残った。孫次郎とは思えない。

プログラム、特集(村瀬和子)の『雪の杜若』、素敵な話題だ。

国立能楽堂展示室は「作物」。いろいろ間近で実際の大きさがわかってよかった。象徴的なようでいて、現実的でよくできている。鉄輪の祭壇に烏帽子とかもじが並んでいたので成程と納得。