般若心経 

現代語訳「般若心経」  玄侑宗久  ちくま新書


読みにくい文体。慣れるまで時間がかかった。
「いのち」は元々それ自体で存在したのに、「私」が形成されて「苦」が生じる。「私」はどんどん「いのち」の実相から離れていく。いのちの実相のままに生きているのは植物かもしれない、というのが面白かった。
般若波羅蜜多の『知恵の完成』は、『理知の知』ではなく、『実践的英知』である。体験で得るもので、例えば、般若心経を単純機械的に暗記して唱えても、むしろその方が、人智を超える力を感ずることができる。
五蘊が空であることを常に自覚させる力そのものとして、陀羅尼は再生される。 全体が丸ごと記憶され、再生されるたびに「識」を浄化していく。”
般若心経には圧倒的な神秘の力があるらしい。
マントラとか言霊とか、どこからくる作用なのだろうか。
『道タオ』『渾沌』『般若』、「精霊の王」にもあったが、全ての元になるどろどろしたもの、ぐるぐる回ってそこから飛び出すもの、それが量子力学など現代科学につながっているというのは、現代からの逆算でないとすれば何なのだろうか。


能面の般若は、それを作るのを得意とした般若坊の名前から。
総持寺の総持は陀羅尼の訳から。


終りの般若心経の 訳、書き下し、全文、よみ方、解題、あとがき、よかった。絵心経はかなり笑える。



真言】 しんごん  goo辞書
〔梵 mantra〕密教で、仏・菩薩の誓いや教え・功徳などを秘めているとする呪文的な語句。原語を音写して用いる。語句の多いものを陀羅尼(だらに)、数語からなるものを真言、一、二字のものを種子(しゆじ)と区別することもある。呪。神呪。密呪。


【陀羅尼】 だらに
〔梵 dhra 総持・能持と訳す〕教えの精髄を凝縮させて含んでいるとされる言葉。教えの真理を記憶させる力、行者を守る力、神通力を与える力があるとされる呪文。訳経において意訳せず、梵語音写のまま唱える。主として長文のものをいう。大咒(だいしゆ)。


五蘊】 ごうん
〔「蘊」は梵語 skandha の訳で、集まったものの意〕諸存在を構成する物質的・精神的五つの要素。色(しき)・受・想・行・識の総称。色は物質的存在、受は事物を感受する心の働き、想は事物を思い描く心の働き、行は心の意志的働き、識は識別・判断する心の働き。五陰(ごおん)。五衆(ごしゆ)。



< 今日の格言 >
玄侑宗久師のたまわく
『 真理は常に誰かに向けられた聖者の言葉に宿るのであって、万人向けの一般的な真理というものはあり得ない…。 』



  そうなの?それでは占いになってしまわない?
  びっくり、宗教とはそういうものなのか…。