万酔会

昨日3日は、野村万之介さんの素人のお弟子さんの会。
休憩以後の狂言から拝見。終り頃の番組は、観客が廊下まで溢れていたそうで、それだったら立って詰めたのに、と思った。


「貰聟」 もらいむこ
聟が追い出した妻を貰い受けに行く、という意味のようだ。
娘も聟に加勢して父親を張り倒し、「愛しい人」行きましょう♪ 「二人とも祭には呼ばぬぞよー」という類のセリフは、いつもいいなあと思う。温かく哀愁がこもっている。
舅役の方は、毎年憎々しげなのが多く、それがまた真に迫っているのだが、今日のような終わりは、演者としてどんなふうに表現しようと考えるのか、伺ってみたい。何も作為がなくても、舞台にひとり取り残された情景が、自然に心象を造るのだろうか。
「かなぼうし」というのは子供の名前「金法師」であった。初めわからず、何か家事か経済関係がままならないのかと思ってしまった。


「三人片輪」
有徳の人、富を全部自分のものとせず、人助けに使う。それが独りよがりだと、目が曇るのかも。応募者三人がそれぞれ博打仲間で、同じことを考えるのが、世の中から詐欺が無くならない説明のようで可笑しい。勤勉嫌いでも、騙す労は厭わないという“一途”なところが、凡人と詐欺師の分かれ道か。
遊び人は芸達者で、竹生島や景清を謡って舞うが、あっさりと短かったのが意外だった。よく出てくる「あんの山からこんの○○まで」というのは、その頃の流行歌なのだろうか。
三人の症状が入れ替わるのが、それぞれ道具と人の配置の変化で、なかなか見もの。目に足に口にそれぞれ熱演で、替わった後も熱心に演じているのが、有徳人のシャクの種倍増で、神経を逆撫でして去っていったのでした。