古池や

某会会報の金子兜太(とうた)氏の記事。
小泉八雲は、たくさんの蛙の水音を聴いた。
高浜虚子は、元気な蛙は春の季語であると言った。
「古池や」は、古池にとびこんだのではなくて、目の前に古池の景色がある。と、近くでぽちゃんぽちゃんと音がする、という場面なのだそうだ。枯淡の池のある風情と、若々しい音との組み合わせ。
史実かどうか不明だが、芭蕉さんは「音の発見」にご満悦であったとか。


しーんとした真夏の、苔むした古池に蛙が一匹飛び込んだ音が、ひとつ響いた、というのは国語の教科書範囲であるらしい。禅味が喜ばれた時代に英訳された影響もあるとか。


他の記事では、散骨は万葉の時代にあった、とか、ウィルスに汚染されていない海水は海水井戸だけとか、竜安寺の方丈と庭園全体の断面図とか、おもしろーい。