お題バトン 能とは?

私にとって、お能とは何か? glovesさんから頂いた宿題


プロの舞台を鑑賞することと、「体験学習」で片鱗に触れることが、自分の中でどのようになっているのでしょうか…?


初めて能楽堂に行って鑑賞したのは9年程前、「三井寺」で国立能楽堂公演。これが私にとって大変ラッキーな出会いであった。まず、国立能楽堂に立派なプログラムがあったこと。「三井寺」が仲秋の情趣と、子供を捜す親の心情にあふれ、近江八景を詠み込み、仏教の偈まで、様々な古典文芸の言葉に満ち満ちていたこと。
例えば「三五夜中新月の色…」白楽天、張継?の「月落ち烏鳴いて霜天に満つ…」が「鳥」に変えられていたり、「春を見捨てて飛ぶ雁」「秋の最中」「諸行無常 是生滅法」そして、セリフ『子故に迷う親の身は恥も人目も思われず』…かっこい〜!


と、言葉の響き、リズム、お囃子の調べ、人間模様、舞台全体がとてもよく、母親の声、謡、動きがしんみりと澄んで、素晴らしい!と感激しお近づきになった。友人の知人←友人←私 という縁で金剛流のお稽古に引かれたわけだが、見るとするでは大違い、謡も舞も、実に変てこ。毎回、これは何にゃーと笑わずにはおれない異文化だった。上村松園の「序之舞」姿なんていつのことやら。さらに、天冠や長絹や扇や羽団扇やボート(お舟)を目撃してやみつきになった。お囃子も好き。


ずっと後になって、関西のH市の親戚のおじが、京都の観世流に通って、素人師範(ペーパー師範?)になっていることがわかった。費用については内緒っぽくしていて、おばも知らないそうで、あちらは笑い話となっているが、こちらは笑えませんです、はい。


というわけで、私にとってお能とは
まず、言葉がおもしろくて、素敵で、それにメロディーとリズムがあって、しかも動きで表現することもできる、至れり尽くせりの「学科」。題材が古くてイデオロギー(古語か?)的に合わないのもあるが、変節OKで、どんどん進むのみ。但し、経済の範囲内で
浄瑠璃や歌舞伎のセリフの芝居気が私には出来そうにないので、お能の方が入りやすい。「能楽鑑賞」と「お稽古」は、自分に肥料を与えて、他の花を見ることになるのだが、それでも二つで一つのように思える。
それと、お囃子は難し過ぎ。どうして音が出るのか不思議だ。


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で、お題指定バトン
● 太郎冠者の のりこさん・・・「発表会とは」
● narjaさん・・・「
● 陶芸の とくさん・・・「土とは」
● ○○さん・・・as you like