東京金剛会例会能

「玉葛」(シテ…荒川進)の終わりごろと、「三輪」(シテ…片山峯秀)と「通小町」(シテ…見越文夫、ツレ…遠藤勝實)とお仕舞など。
今日の「通小町」の終わり方って素敵。小町と少将が、時差があって?離れているのに、連れ立って消えていく風情。そういえば以前、橋掛りから髪を上げてギラリという深草少将の登場を観ましたっけ。


狂言「惣八」 超面白かった。
元料理人の僧…山本東次郎、元僧の料理人…山本則俊、主人…山本則秀。 東次郎さんの包丁さばきの器用なこと。左手に火箸、右手に包丁で、さささと鱗を落とすすごいスピード、名包丁人ちっく。いかにもらしいのがおかしくておかしくて、今までの「惣八」で一番笑った。僧の衣に襷をかけたスタイルも包丁の四条流のお公家さんファッションみたい、といつも思う。お魚を裏に返すのも免許皆伝的。一方のお経も、“音声”なのがしゃれている。東次郎さんの口調は、山本家の中でどのようにして生成されたのだろうか。「ああ」とか「おお」の一言の表現が抜群、おかし味もあって。


<今日の国立能楽堂展示室>
面がすごい。角材の奥行がそのまま奥行になっているのではないかと思うくらい、立体的だ。口元も、頬も鼻も、ぐーんと出っ張っている。薄く深い褶曲。立体的な表現があればある程皮膚の薄さを感じる。室町時代の面は、大変ダイナミックにおおらかに素朴に、高技術。江戸時代、17世紀になると、観念的。洗練というべきか。室町って、爛熟と破滅で、人間がむきだしになったというか、本質が見えた時代だったのかも。ルネサンスのハシリ?


<今日の出店。檜書店さん>
にゃんと、おじさまから例の金剛流 New CDの十枚セットの桐箱をいただきました。にゃは、マニアの域に達しました。 まだ3枚しか持っていないので、あと7枚、年季奉公か!? 機械によって聴けたり聴けなかったりするのが困りもの。10年前のCDラジカセでは全く音が出ません。車やコンポでは、聴けます。