人間 手術の是非

高齢の場合、そのまま、そっとそっと、壊れかかった部品で生きていくか、手術をして、元気になるかもしれない道を選ぶか、考えどころだ。
まず、毎日列を成している老人治療は、「年齢相応」「そっとそっと」なので、具体的内臓部品治療は、手遅れになっている感じ。しかし、これが自然というものかもしれない。
そうしているうちに、「老衰期間を延ばすだけの老人医療なら、薬も治療も打ち切りたい」「止めるのはいつでもできるのだから、別な方法はないのか」「どうも、手術の技術が進歩しているらしい」「間に合うかも」となる。この場合、手術台の上で、おさらばになるか、後遺症で植物的になるか、前より元気になって帰ってくるか、若い方より、もっと未知数。
次に費用の問題。心臓手術は高額で、数百万円。プラスチック?の部品を入れたりして「身障者」に認定されると、入院費以外の手術費は免除されて、税金から「高齢の余命のためにありがとう」といただくわけです。
高齢の「過激な治療」は、精神的にある種過激な老人でないと、持ちこたえられそうもなく、「そっとそっと」から「きったはった」への転換は、医師の側からはお話が出ることはない。