エイサーの由来と琉球

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袋中(たいちゅう)上人という京都のお坊さんが沖縄で始めた念仏踊りが定着したもの。
袋中上人の生まれは現在の福島県いわき市。浄土宗の僧。もっと深い教えを請いに明に向けて出国したが、秀吉が朝鮮出兵を行った直後で、朝鮮、中国が海上警備を固めていたため、日本海を越えられなかった。海路を求めて南へ伝ってフィリピンにも寄港し、結局大陸に渡れずに1603年、琉球王国に流れ着いた。


滞在3年の間に、尚寧王がら信頼され、お寺もいくつか建立して、琉球王朝の仏教文化に少なからぬ影響を残した。尚寧王に招かれた席で、三線の音に合わせて念仏踊りを踊ったのがエイサーの発祥であるといわれている。 出身地・福島県には今でも、太鼓を持ちながら踊り歩く、元になった念仏踊りが残っている。


袋中上人が去った後、1609年、琉球は薩摩から侵攻を受け、尚寧王は捕らわれの身として江戸に移される。その途中京都で、袋中上人と再会。尚寧王から、祇園祭の鉾「黒主山」(室町通り三条下ル)の前掛になった16世紀明製綴織「波濤飛龍図」が贈られ、現在、国宝として京都国立博物館に保管されている。



上人のお墓は、琉球から帰ってきて最初に布教活動をはじめた場所、京阪三条駅の道向かいにある壇王(だんのう)法林寺にある。実際に亡くなった所は、京田辺市内のお寺。
2004年2月、浄土宗(水谷幸正宗務総長)と地元沖縄県等との協力で、「袋中上人来琉400年記念 慶讃法要 と 戦後60年を記念する戦没者追悼法要」が、那覇市の浄土宗袋中寺と松山公園で厳修された。
長い沖縄の400年。